別館 セブンスボイス

主にaskaブログ拝読用に設置したブログです。メインはアメブロ セブンスボイスになります。

リカバリーと、RE-birth

リカバリーの概念は、そりゃあ

そんな回復の流れにいる人間なんだから

良く知っている。

要はあれは

元ある能力値を回復させて

元いたあなたに戻りましょう

な概念なんだけど

依存に関しては

リカバリーが果たして回復の公約数になるのかは

実は怪しいものだと思っていたりする。

まあ、元いたあなた、で行き詰まり

上手くいかないからこそ

依存に落ちたりするわけで

元いたあなた、では上手く生きられない人が

元いたあなた、に戻るリカバリーをして

元の自分に戻ったところで

結局、依存に落ちる原因は何も変わってなかったりするのだから

結局また、依存に落ちるのじゃないだろうか。

つまりは、社会で成功体験をたくさん持つ人が

リカバリーを施し復帰していくルートにら

リカバリーは極めて有効だったりするが

そもそもの成功体験の乏しい人が

リカバリーを施すことが

上手く生きられる道に繋がるとは思えなかったりするわけだ。

ならば

そんな、成功体験があまりない人が

回復するためには

リカバリーではなく

RE-birthなのじゃないか。

つまり、今迄とは違う道に向かい

新しく生きること。

そこが必要なんじゃないか。

まあ、

農地を持っていて

米を作っていたとする。

で、何かで失敗して、米を作るどころじゃなくなったとする。

リカバリーだと、

また米を作るところに道を作ることになる。

元の機能を回復して

元通りやるなら

当然そうなる。

だが、これは

もともと米を作って利益を上げていた人にのみ

通用するやり方なわけで

もともと米を作って利益が上がらず

そこから道を彷徨った人には通用しないのだ。

米を作って上手くいかないから

道を外れてしまったわけで

そんなひとに

もう一度、米を作れるよう

頑張りましょう、と叱咤したところで

失敗例の追体験を強要するようなものだから

まともには取り組まない。

ならば

米を作って失敗したならば

何か別の作物を同じ農地で育てればよいのだ。

米を作る過程で

上手くいかない過程で

何か別の作物にチャレンジした過程なら

誰でもあるわけで

農地を見渡したら

放置した農地にかつて落ちた米が勝手に自生するそばに

必ず、かつてチャレンジした

なんらかの作物もちらちら自生してたりするわけだ。

リカバリーではたくさん自生する米をもう一度育てる流れに持っていくのだが

むしろ、米の成功体験の乏しい人は

かつてチャレンジしたちらちら自生するその作物に目を向ける方がいいのではないか。

その、種だけまいたのが僅かに芽吹いている花。

かつて大々的に咲かそうと手を入れて結局さほど咲かなかった花。

どちらが花としてその農地と

育てる人間に向いている可能性が高いのか。

そこに、リカバリーでは読みきれない新しい道が見えていたりする。